6月

1967年
アルバム SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND 発売
1969年
ジョンとヨーコ モントリオールのホテルでGIVE PEASE A CHANCEのレコーディングを行う
 
1967年
エプスタインSGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND の録音終了以後5曲の新曲のレコーディングをすませていてそのうちの2曲をシングルとしてリリースすることを発表
1973年
ジョンとヨーコ ボストンのハーバード大学で行われた国際フェミニスト会議の2日目のパーティーに出席 席上ジョンは「元ビートルズのメンバーが集まって演奏することに興味はない」と発言
 
1964年
2日間にわたりアムステルダムでコンサートが開かれる
1962年
アビーロードのEMIスタジオにてジョージ・マーチンのプロデュースのもとデモ・レコーディングを行う
1968年
ジョージとリンゴ ラヴィ・シャンカールの映画 RAGAに出演するためハリウッドに向かう
 
1957年
クオリー・メン キャロル・リービス主催のアマチュア・バンド・コンテストに出場し落選 クオリー・メンとして最初のステージ
1962年
キャバーン・クラブで「BEATLES WELCOME CONCERT 」が開かれる
1964年
香港で所要時間95分のボート・ツアーという異例のコンサートを開く 運河や橋の上に15万人を越すファンが集まった。
1977年
ジョージとパティ の離婚が成立
10 1966年
シングル PAPERBACK WRITER 発売
1976年
アルバム ROCK’N’ROLL MUSIC 発売
11  
12 1964年
アデレイドでのコンサートを皮切りにメルボルン、シドニー、ウェリントンなどオーストラリア全域に渡る公演旅行が開始される。(アデレイドのコンサートは8万人を越す署名が集まったために行われることになったもの)
1965年
エリザベス女王からビートルズへ大英帝国彰勲章MBEが贈られることが正式に発表される
1972年
LP SOMETIME IN NEWYORK CITY発売
13 1965年
エプスタイン トウィッケンハムの撮影所で叙勲についての記者会見を行う
1975年
ジョン アメリカ・テレビ・スペシャル・ショー「ア・サリュート・トゥ・ルー・グレイト」に出演 スリッピン・アンド・スライディン イマジン スタンド・バイ・ミーを演奏 ジョンの最後のライブとなった
14 1970年
ヨーコ 10年間の著作活動をまとめた「GRAPEFLUIT 」を出版
15 1965年
星加ルミ子 日本人として始めてビートルズとの会見に成功する
16 1978年
ジョン 前妻 シンシアがサンデー・ニュース・オブ・ザ・ワールド紙に連載を始めたジョンとの生活をまとめた手記の掲載中止を求める裁判を起こす (抗告審で却下)
17 1965年
ヨーロッパ公演のため出発
18 1942年
ポール 生まれる
1967年
ポール 再びLSDを服用するかもしれないと発言し物議をかもす
19 1971年
リンゴのIT DON'T COME EASYヒットチャートで1位になる
20 1965年
パリのパレ・デ・スポールでヨーロッパ公演の幕が開く
21 1968年
ポール キャピトル・レコードとの契約更改のためハリウッドに向けて出発 これ以後レコードはすべてアップルレーベルに改められた
22 1961年
トニー・シェリダンの「マイ・ボニー」のセッションに参加 ビートルズとして演奏する
1970年
ジョージの母 エリオット・ハリソン死去
23 1961年
トニー・シェリダンの「マイ・ボニー」のセッションに参加 ビートルズとして演奏する
24 1965年
ジョン 2冊目の著書 A SPANIYARD IN THE WORKS 出版
1966年
ミュンヘンのサーカス・クロネールでのコンサートを皮切りにドイツ及び極東の公演旅行が開始される
25 1967年
31カ国で同時中継された「OUR WORLD」にイギリスを代表して出演
26 1963年
マルコム・エバンス ブライアン・エプスタインに勧誘され正式にビートルズのロード・マネージャーになる
1967年
日本時間の午前4時「OUR WORLD」日本放映 視聴率60%
27 1966年
ハンブルグから東京へ向けて出発
28 1972年
ジョージ MY SWEET LORDで2度目のノベロ賞を受賞
29 1966年
大型台風が東京を直撃したためビートルズ一行は途中アンカレッジで足止めを食った後約10時間送れて羽田空港に到着
30 1966年
日本武道館で日本最初のコンサートが開かれる