ジ・インナー・ライトThe Inner Light
シングルレディ・マドンナ、EPザ・ビートルズ、パスト・マスターズ2収録 2分35秒 /詞・曲 ジョージ ボーカル ジョージ(ジョージ)
レコーディング 1968年1月12日、2月6日、8日EMIレコーディング・スタジオ(ボンベイ)(1月)、アビイ・ロード・スタジオ(2月)
プロデューサー ジョージ(1月)、ジョージ・マーティン(2月)/エンジニア J・P・セン(1月)、S・N・グプタ(1月)、ジェフ・エメリック(2月6日)、ケン・スコット(2月8日)
B面ながら初めてシングルに収録されたジョージの曲。ベーシック・トラックは映画『ワンダーウォール』のサントラ用に録音されていたもので、インドのミュージシャンが演奏。歌詞は老子の言葉を引用している。


シェイク、ラトル&ロール Shake, Rattle And Roll
アンソロジー3収録 0分46秒 /詞・曲 チャールズ・カルホーン ボーカル ジョン
レコーディング 1969年1月26日 アップル・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア グリン・ジョンズ
ビッグ・ジョー・ターナーが1954年に発表した曲。ゲット・バック・セッションのなかで「リップ・イット・アップ」「ブルー・スエード・シューズ」とのメドレーで演奏された。


シェア・スタジアム
アメリカ ニューヨーク
1965年 8月15日・16日
1966年 8月23日・24日
1965年8月15日、ビートルズはニューヨーク・メッツのホーム・グラウンド、シェア・スタジアムでコンサートを行なった。現在ではよくあることだが、野球場でライブを行なうなどこれが初めてのことで、観客動員数も55,600人と世界記録を達成。安全上の問題から、4人はニューヨーク上空をヘリコプターで移動し、装甲車で会場入りした。すさまじい歓声につつまれ失神者が続出するなかで、ビートルズは約30分間演奏した。
この壮大で歴史的なコンサートのもようは『ザ・ビートルズ・アット・シェア・スタジアム』としてテレビ用に収録された。現在はビデオ“ANTHOLOGY 5”で観ることができる。


ジェフ・リン
ELOのギタリスト、ボーカリスト、キーボード、プロデューサー 


ジェームズ・マッカートニー
ポールの父 1902年生まれ 1941年メアリー・パトリシア・モートンと結婚 二人ともアイルランドの出身だった


ジェリー&ペースメーカーズ
ビートルズに続いてエプスタインによって世に出たグループ ポール・ジョージとはリバプール・インスティチュートでいっしょだった


Jane Asher(ジェーン・アッシャー)
ポールの昔の恋人 女優
1946年4月5日生まれ、女優デビューは5歳のときだった。

1964年にポールが書いた‘A World Without Love(愛なき世界)’を大ヒットさせたピーター&ゴードンのピーター・アッシャーは、彼女の兄である。

1963年知り合い1967年12月25日に婚約 翌年7月にジェーンから婚約破棄


ジ・エンド The End
アビイ・ロード収録 2分5秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ジョン、ポール、ジョージ)
レコーディング 1969年7月23日、8月5日、7日、8日、15日、18日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド
解散前の実質的なラスト・ナンバー。リンゴのドラム・ソロと、3人によるギター・バトル(ポール→ジョージ→ジョンの順で3回ずつ弾いている)にそれぞれの個性が見られる。歌詞の最後では、ビートルズから「愛」のメッセージを贈る。
リミックス
アンソロジー3 2分50秒 /ボーカル ポール
レコーディング 1969年7月23日、8月5日、7日、8日、15日、18日/1967年2月22日(最終コード) アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド/ジェフ・エメリック(最終コード)
マスター・バージョンでは消されてしまったギターの音が入っている。オーケストラの音も鮮明。曲のあとには「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のコーダをつなげるという凝った構成。


ジェリー・ビーンズ
ジョージが好きだと言った為 たくさんのファンがコンサートにジェリー・ビーンズを持ち込み、ステージめがけて投げつけるようになった。その後、ビートルズはインタビューのたびに「もうジェリー・ビーンズは大嫌いになった」と言ってまわることにした


シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー She Came In Through The Bathroom Window
アビイ・ロード収録 1分52秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ポール)
レコーディング 1969年7月25日、28日、30日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド
アップル設立を発表するためにニューヨークへ行ったときに書かれた曲。
■リハーサル
アンソロジー3収録 3分36秒/ボーカル ポール
レコーディング 1969年1月22日 アップル・スタジオ
プロデューサー 不在 /エンジニア グリン・ジョンズ
ゲット・バック・セッションでのリハーサル・テイク。テンポが遅い。トラックの最後の部分でポールは「こんな感じのフレーズが欲しい」とメンバーに説明している。


シーズ・ア・ウーマン She's A Woman
シングルアイ・フィール・ファイン、EPザ・ビートルズ、パスト・マスターズ1収録 3分2秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1964年10月8日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
R&B色の濃いナンバー。ポールのボーカルはのちの「レディ・マドンナ」や「オー!ダーリン」に通じる。
■BBC
ライヴ・アット・ザ・BBC収録  3分14秒 /ボーカル ポール
レコーディング年月日 1964年11月17日
レコーディング場所 プレイハウス・シアター
プロデューサー バーニー・アンドリュース /エンジニア 不明
『トップ・ギア』と『サタデイ・クラブ』より。レコード発売前の演奏。エンディングが長い。
■ハリウッド・ボウル・ライブ
スーパー・ライヴ収録 2分47秒/ボーカル ポール
レコーディング 1965年8月30日  ハリウッド・ボウル(ロサンジェルス)
プロデューサー ジョージ・マーティン、ヴォイル・ギルモア/エンジニア ジェフ・エメリック
間奏のあとすぐエンディングに入るショート・バージョン。
■ライブ
アンソロジー2収録 2分54秒 /ボーカル ポール
レコーディング 1966年6月30日 日本武道館ホール
プロデューサー 不明 /エンジニア 不明
日本公演初日の2曲目。やはりショート・バージョンで、チューニングを半音下げている。


ジス・ボーイ こいつ This Boy
シングル・抱きしめたい、EPザ・ビートルズ、パスト・マスターズ1収録 2分15秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ポール、ジョージ)
レコーディング 1963年10月17日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
シングル「抱きしめたい」のB面。3声のコーラスが美しいバラードで、低音部をジョン、中音部をジョージ、高音部をポールが担当している。
■テイク12&13
シングル・フリー・アズ・ア・バード収録 3分17秒/ボーカル ジョン
レコーディング 1963年10月17日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス(オリジナル)、ジェフ・エメリック(リミックス)
初めて4トラックの機材を使ったセッションより、最後に笑いだす未完成テイク。「こいつ」は1960年代当時の日本語タイトル。
■ライブ
アンソロジー1収録 2分22秒 /ボーカル ジョン
レコーディング 1963年12月2日 ATVスタジオ(ハートフォードシア州ボーラムウッド)
プロデューサー 不明 /エンジニア 不明
テレビ番組『マーカム&ワイズ・ショー』より。マイク1本で歌っている。コーラス・グループとしていかにハイレベルだったかわかる。イントロや歌のあいだでギターのアルペジオを入れている。


シーズ・リーヴィング・ホーム She's Leaving Home
サージェント・ペパー収録 3分35秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ジョン)
レコーディング 1967年3月17日、20日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ジェフ・エメリック
新聞に載っていた家出少女の話をもとにポールが書いた曲。ジョンはミミおばさんによく言われた小言をそのまま詞に使い、みずからコーラスをつけている。ジョージとリンゴは不参加。ジョージ・マーティンの手があくのを待たずにポールがストリングスのスコアをマイク・リーンダーに依頼し、マーティンが気を悪くしたという逸話がある。


シー・セッド・シー・セッド She Said She Said
リボルバー収録 2分34秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ジョン、ジョージ)
レコーディング 1966年6月21日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
「死ぬってどんなことか知ってる」という歌詞はピーター・フォンダらとのLSD体験をもとに書いた。曲には変拍子をとり入れた。


シタール
ジョージは“HELP!”の撮影中にこのインドの民族楽器に出会うと、さっそく次のアルバムの曲‘Norwegian Wood’で使ってみた。ポップ音楽にインド音楽の要素がとり入れられたということは非常に革新的なことだった。ジョージはのちにシタールをクローズアップした曲も作り、この楽器への関心がきっかけでインドへ傾倒していくことになる。


ジブラルタル
スペイン 1969年3月20日 ジョンとヨーコが結婚式を上げた場所


ジミー・ニコル Jimmy Nicol
「ザ・スプートニクス」の元メンバー
1964年6月のデンマークからオーストラリア公演にかけてリンゴが病気で公演旅行に参加できなかった時リンゴの代わりにドラムを叩いた
スプートニクスとして来日もしている


ジム・マック・バンド
ポールの父が結成していたセミ・プロのジャズ・バンド


シャウト Shout
アンソロジー1収録 1分28秒 /詞・曲 ルドルフ・アイズレー−ロナルド・アイズレー−オーケリー・アイズレー ボーカル ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ
レコーディング 1964年4月19日 IBCスタジオ
プロデューサー ジャック・グッド /エンジニア テリー・ジョンソン
テレビ特番『アラウンド・ザ・ビートルズ』より。1959年にアイズレー・ブラザーズが発表した曲。4人全員が交互に歌うというめずらしいスタイルで、ボーカルはポール→ジョン→ジョージ→リンゴ→ポール→ジョン→ジョージの順。


ジャカランダ・クラブ
アラン・ウィリアムズが1958年9月に開いたコーヒーバー
店の壁の絵はアランに頼まれたスチュがロッド・マリーとともに書いた
このクラブにはシルヴァービートルズ時代1960年5月〜9月に10数回出演している


ジャッキー・ロマックス
メリー・ホプキンと一緒にデビューしたアップル所属の男性歌手 あるパーティーでシラ・ブラックにあったのがきっかけでエプスタイン傘下のアーティストになりジョージのオリジナル曲「サワー・ミルク・シー」でデビュー デビューアルバム「驚異のスーパーセッション」にはポール・ジョージ・リンゴがレコーディングセッションに参加している


ジャンク Junk
アンソロジー3収録 2分23秒 /詞・曲 ポール ボーカル ポール
レコーディング 1968年5月 レコーディング場所 サリー州イーシャー「キンファウンス」
プロデューサー 不在 /エンジニア 不在
イーシャー・デモより、ポールの弾き語り。ソロ・アルバム『ポール・マッカートニー』に収録されたスタイルとほぼ同じ。ビートルズ時代には正式なセッションではとりあげられなかった。


シュアー・トゥ・フォール Sure To Fall (In Love With You)
ライヴ・アット・ザ・BBC収録 2分7秒 /詞・曲 カール・パーキンス−クイントン・クラウンチ−ウィリアム・カントレル ボーカル ポール
レコーディング 1963年6月1日 BBCパリス・スタジオ
プロデューサー テリー・ヘネベリー /エンジニア 不明
『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第3回より。カール・パーキンスが1956年に発表した曲。


ジョージ・スミス
ジョンの育ての親 ミミおばさんの夫 小さな乳製品の店を経営していた.ジョンには甘かったと言う 1953年死亡


ジョージ・マーチン George Martin
1926年1月3日、ロンドンで生まれる。学生時代はクラシック音楽を学ぶ。ビートルズに出会った当時、EMIのなかではマイナーなレーベル、パーロフォンのA&R(アーティスト&レパートリー)部長だった。ビートルズと契約したあとは、プロデューサーとしてすべてのレコーディングにたずさわると同時に、アレンジを手がけたり、ときにはピアノなどで実際に演奏にも加わったりと、4人からは音楽面で絶対的な信頼を得ていた。
1965年8月にEMIを離れて「クリシェーテッド・インディペンデント・レコーディングス」という会社を設立後もアビーロードまでずっとビートルズのプロデュースを続けてきた
ビートルズ解散後も、ソロになったメンバーのプロデュースをしたり、アンソロジー・プロジェクトでも活躍。1996年には、音楽界での数々の功績がたたえられて、ナイト爵に叙された。


ジュリア Julia
ザ・ビートルズ収録 2分54秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン
レコーディング 1968年10月13日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ケン・スコット
「ヨーコと母のイメージをあわせた」というバラード。タイトルはジョンの母の名前で、歌詞にはヨーコの名前(オーシャン・チャイルド=洋子)が出てくる。ビートルズの正式なセッションでは唯一ジョンがひとりでレコーディングした曲。
■テイク2
アンソロジー3収録 1分57秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン
レコーディング 1968年10月13日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ケン・スコット
2小節のイントロつき。歌は最初の一部だけで、ほとんどインストゥルメンタル。ジョンのスリー・フィンガー奏法のギターだけを聴くことができる。


ジュリア・レノン Julia Lennon
ジョンの母
1914年リバプール生まれ 24歳で船乗りだったフレッド・レノンと結婚 
フレッドはまったく落ちつかず ジョンが生まれてまもなく離婚 
姉のミミにジョンを預ける 
ジョンが中学生の頃からたびたび会うようになり多大な影響を与える ジョンに初めての楽器バンジョーを教えたのも彼女だった
1958年交通事故で死亡
ジョンの心に大きな傷となった


ジョニー・B・グッド Johnny B Goode
ライヴ・アット・ザ・BBC収録 2分51秒 /詞・曲 チャック・ベリー ボーカル ジョン
レコーディング 1964年1月7日 プレイハウス・シアター
プロデューサー バーニー・アンドリュース /エンジニア 不明
『サタデイ・クラブ』より。チャック・ベリーが1958年に発表した曲で、今やロックンロールの定番。


ジョニー・ボイド Jonny Boyd
パティーの妹 1968年にビートルズがインドに行った時に同行している


ジョフリー・エメリック Geoffrey Emerick
ビートルズのレコーディング・エンジニア サージェントペパーが1967年度のグラミー賞で「ベスト・テクニカリー・エンジニアード・オブ・ジ・イヤー」に選ばれた時にベスト・エンジニア賞を受賞している
1963年2月にテープオペレーターとして「ミザリー」「ベイビー・イッツ・ユー」の録音に携わって以来彼はビートルズの膨大な量の録音に関係してきた。1966年4月にノーマン・スミスの後任として担当録音技師になった。
1989年1月彼の結婚式の時にはポールが花婿の付き添い役を務めた。


ジョン・イーストマン
リンダ・マッカートニーの兄
ポールがアップルコープスの財政上のごたごたでリンダの父リー・イーストマンに相談した際リンダが推薦したのが彼だった
ジョン・イーストマンとアラン・クラインの間にできた溝は深く二人が一緒に仕事を続けることは無理になった。結局ポールの側にイーストマンが、クラインの側に他の3人がついたのだった


ジョン・ダイキンズ
ジョンの母ジュリアの同棲相手
ジョンを姉ミミのところへ預けエリザベスを養子に出した後ジュリアはジョン・ダイキンズの内縁の妻となりジューリア、ジャッキーの二人の娘をもうけた。


シー・ラヴズ・ユーShe Loves You
シングル、EPザ・ビートルズ・ミリオン・セラーズ、パスト・マスターズ1、赤盤収録 2分20秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン、ポール(ジョージ)
レコーディング 1963年7月1日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
4枚目のシングルとして発売された大ヒット曲。「イェー・イェー・イェー」のコーラスはビートルズのトレードマークとなった。1977年にポールの「夢の旅人」に破られるまで、イギリスでのシングル売上げ記録を持っていた。
■ライブ
アンソロジー1収録 2分50秒/ボーカル ジョン、ポール
レコーディング 1963年11月4日 プリンス・オブ・ウェールズ・シアター
プロデューサー 不明 /エンジニア 不明
王室主催の「ロイヤル・バラエティ・ショー」より。非常にていねいに演奏している。
■ハリウッド・ボウル・ライブ
スーパー・ライヴ収録 2分11秒/ボーカル ジョン、ポール
レコーディング 1964年8月23日 ハリウッド・ボウル(ロサンジェルス)
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
イギリス発売から1年たっていたため、ジョンは「ちょっと古いけど」と言って曲紹介している。


シー・ラヴズ・ユー(ドイツ語版) She Loves You (Sie Liebt Dich)
パスト・マスターズ1収録 2分18秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン、ポール(ジョージ)
レコーディング 1964年1月29日 パテ・マルコーニ・スタジオ(パリ)
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
ドイツ語盤はステレオで出すという制約があったため、ステレオ・バージョンのなかったこの曲はすべて録音しなおされた。テンポが速くなり、エンディングのギターが新しくなっている。


シラ・ブラック Cilla Black
1943年生まれ リヴァプール出身の女性歌手 エプスタインに見出されてデビュー


ジルジャン (すった@わてB)
世界的に有名なアメリカのシンバルメーカー。Ringoは主に、トップシンバルにアベディス・ジルジャンを使用していたらしい。
このメーカーは現在、大別して2種類のシンバルを生産しています。
圧延、成形までの段階は同じですが、仕上げのハンマー加工して行く工程で、「マシーンハンマー」によって仕上げて行く<Aシリーズ><Zシリーズ><オリエンタル・シリーズ><RIMIXシリーズ><ZBTシリーズ>。
音色は明るく豪快で、サスティーン(余韻)が長いロック向きです。
「ハンドハンマー(手打ち)」により仕上げて行く<Kシリーズ><Kカスタムシリーズ><コンスタンチノープル>。
音色はダークでドライ、サスティーンが短いジャズ向きです。
当時は「A」と「K」しかなかったと思いますが、主に、「A」はロック用、「K」はジャズ用に分けられていたと思います。
Ringo自身は映像を見る限りでは18inの「ミディアム・ライド」「クラッシュ・ライド」を使用していたように思います。
曲によってはシズル付き(鋲付き)のシンバルを使用している写真も見たことがあります。この「シズル」を付けますと、鋲が震えてシンバルの余韻が長くなる特性を持っています。ライブ会場でシンバルの音の減衰を防ぐ為の工夫だったのでしょう。


シングス・ウィー・セッド・トゥデイ 今日の誓い Things We Said Today
シングル・ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!、ア・ハード・デイズ・ナイト、EPエクストラクツ・フロム・ジ・アルバム『ア・ハード・デイズ・ナイト』収録 2分35秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ポール)
レコーディング 1964年6月2日、3日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン(3日不明) /エンジニア ノーマン・スミス(3日不明)
淡々としたポールの歌いぶりと、ジョンのギターのストロークが特徴。
■BBC
ライヴ・アット・ザ・BBC収録 2分18秒/ボーカル ポール
レコーディング 1964年7月14日 ブロードキャスティング・ハウス
プロデューサー バーニー・アンドリュース /エンジニア 不明
『トップ・ギア』より。導入部分にDJの声が重なり、ラジオを聴いているような気分になれる。
■ハリウッド・ボウル・ライブ
スーパー・ライヴ収録 2分8秒 ボーカル ポール
レコーディング 1964年8月23日 ハリウッド・ボウル(ロサンジェルス)
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
レコードではコード・カッティングが低音中心だが、こちらは6本の弦をフルに使っている。


シンク・フォー・ユアセルフ 嘘つき女 Think For Yourself
ラバー・ソウル収録 2分18秒 /詞・曲 ジョージ ボーカル ジョージ(ジョン、ポール)
レコーディング 1965年11月8日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ノーマン・スミス
なげやりな態度で皮肉っぽく歌われる内容は、ジョンの作風に近い。ファズ・ベースが効果的。


シンシア・パウエル
ジョンの元妻 ジョンとは美術学校の同級生で1962年8月23日結婚 ジョンの結婚はしばらくの間ふせられていた ジョンとの間にジュリアンをもうけるがヨーコの出現により1968年11月8日に離婚


ジンジャー・ベイカー(Ginger Baker)
クリームの元ドラマー クラプトンを通じてジョージとつながりを持ちオールシングスマストパスのセッションにも参加している