リアル・ラヴ Real Love
シングル、アンソロジー2収録 3分52秒/詞・曲 ジョン ボーカル ジョン(ポール、ジョージ)
レコーディング 1979年ごろ(オリジナル)/1995年2月(ビートルズ・バージョン)ニューヨーク/イギリス、サセックス州
プロデューサー ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、ジェフ・リン/エンジニア ジェフ・エメリック、ジョン・ジェイコブズ
「フリー・アズ・ア・バード」に続く1996年の「新曲」。ジョンが残したデモ・テープ(ジョンのドキュメンタリー映画『イマジン』で使われていた曲とは別のテープ)にポール、ジョージ、リンゴが手を加えて仕上げた


リー・イーストマン
リンダの父
アラン・クラインが登場するまでビートルズの財政問題の処理に当たった


リゾネット・グラジオッソ(トッポ@PLEASE)
ジョージがデビュー前に使用していたストラトに真似たエレキギター。音もそれっぽい。
61年6月の「マイ・ボニー」などのレコーディングからその音を聞くことができる。


リチャード・ヘンリー・パーキンス・スターキー
リンゴの父 1936年リヴァプール市内の同じパン焼き工場に勤めていたエルシー・グリーヴと結婚 1943年離婚 リンゴは母エルシーに引き取られる(父親と同じ名前をつけるのは労働者階級の習慣であった)


リチャード・レスター
映画ヤァヤァヤァ ヘルプの監督 ナックでカンヌ映画祭グランプリ受賞している
ジョンが一人で出演した「ハウ・アイ・ウォン・ザ・ワー」も監督している


リッケンバッカー#325 RICKENBACKER 325(トッポ@PLEASE)
ジョンの前期のトレードマークとも言えるメインギター。この個性的でカラフルなサウンドの出るショートスケールギターをジョンは巧みに使いこなした。購入当初はナチュラルフィニッシュだがデビュー時黒に塗装される。63年初来米時に、リッケンバッカー社から、2本の#325をプレゼントされ、うち1本は12弦。のちにファイアーグローカラーを短期間私用したのち、一切私用されなくなる。


リッケンバッカー360/12WB Rickenbacker/ 360/12WB(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用 色はファイア・グロー (Not Reissue V64)


リッケンバッカー#360/12(トップ@PLEASE)
ジョージの12弦 初渡米時にリッケンバッカー社からプレゼントされる。アルバム「A Hard Days Night」を中心にふんだんに12弦サウンドを聞くことができる。


リッケンバッカー#425
ワンピックアップの小型のエレキギター。ジョージが親戚からプレゼントされたとされている。TV番組レディ・ステディ・ゴーで見ることができる。長い期間は使用されていない


Rickenbacker 4001
ポールが解散後もっとも長く使用したベース


リップ・イット・アップ Rip It Up
アンソロジー3収録 0分27秒 /詞・曲 ロバート・ブラックウェル−ジョン・マラスカルコ ボーカル ジョン、ポール
レコーディング 1969年1月26日 アップル・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア グリン・ジョンズ
リトル・リチャードが1956年にヒットさせた曲。ゲット・バック・セッションのなかで演奏され、「シェイク、ラトル&ロール」「ブルー・スエード・シューズ」とのメドレーでアルバム『アンソロジー3』に収録された。


リトル・チャイルド Little Child
ウィズ・ザ・ビートルズ収録 1分45秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ジョン、ポール)
レコーディング 1963年9月12日、10月3日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
もとはリンゴのために作られたシンプルな曲。グリッサンドが印象的なピアノはポールが弾いている。ジョンのハーモニカも光る。


リトル・リチャード Littele Richard
ビートルズの音楽に大きな影響を与えたロックンロールシンガー


リヴァプール
マージー川の河口にできた港とともに発展した町 リバプールは西インド諸島や北アメリカとの交易で栄え、17世紀頃からその名を知られるようになり、18〜19世紀に大英帝国の貿易港として繁栄を極めた。港には物資とともにアメリカのジャズも入ってきたという。
ロンドンから約330Km。鉄道ではロンドン・ユーストン駅から約3時間。長距離バスではロンドン・ビクトリア・コーチ・ステーションから約4時間。
四人はここで生まれここで育った


リバプール・インスティチュート
ポールが通っていた学校 ジョージは一級下だった
ジェリー&ペースメーカーズのレス・チャドウィック、ドン・アンドリュー、コリン・マンレイ等もこの学校だった


リバプール・カレッジ・オブ・アート
ジョンはクオリーバンク・グラマー・スクールでは落第生だったが、その絵の才能を高く評価してくれた校長先生の推薦で、1957年にリバプール・カレッジ・オブ・アートへ進学 ジョンはここでふたりの重要な人物と出会っている。ひとりは同じクラスをとっていたまじめな女子学生で、のちにジョンと結婚することになるシンシア・パウエル。もうひとりはジョンの大親友となるスチュアート・サトクリフ


リーヴ・マイ・キトゥン・アローン Leave My Kitten Alone
アンソロジー1収録 2分52秒 /詞・曲リトル・ウィリー・ジョン−タイタス・ターナー−ジェイムズ・マクドゥーガル ボーカル ジョン
レコーディング 1964年8月14日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ノーマン・スミス
リトル・ウィリー・ジョンが1959年に発表したR&Bナンバー。アルバム『ビートルズ・フォー・セール』のためにレコーディングしたがボツになっていた。


リボルバー REVOLVER
【リリース・データ】
イギリス 1966年8月5日 (モノラル / ステレオ)
日本 1966年10月5日 (ステレオ) 1982年1月21日 (モノラル)
初CD化 1987年4月30日 (ステレオ) 主要国で同時発売 日本盤CD番号 / CP32 - 5327
日本盤新装再発CD 1998年3月11日 (ステレオ) / TOCP-51117

【収録曲】
タックスマンTaxman エリナー・リグビーEleanor Rigby アイム・オンリー・スリーピングI'm Only Sleeping ラヴ・ユー・トゥLove You To ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエアHere, There And Everywhere イエロー・サブマリンYellow Submarine シー・セッド・シー・セッドShe Said She Said グッド・デイ・サンシャインGood Day Sunshine アンド・ユア・バード・キャン・シングAnd Your Bird Can Sing フォー・ノー・ワンFor No One ドクター・ロバートDoctor Robert アイ・ウォント・トゥ・テル・ユーI Want To Tell You ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフGot To Get You Into My Life トゥモロー・ネバー・ノウズTomorrow Never Knows


リライアンス・マニファクチュアリング・カンパニー
エプスタインからアメリカにおけるビートルズ商標の権利を一切譲り受けた衣料会社


リンダ・イーストマン
1941年9月24日、リンダ・ルイーズ・イーストマンはニューヨークで生まれた。

父リーは弁護士で、ショー・ビジネス、とくに著作権問題を扱ったことで知られる。そのためリンダも多くの音楽家や画家と知り合いになったという。
兄のジョンも弁護士となり、ポールとリンダの結婚ののちには父子でアップルの顧問に迎えられることになる。
1969年3月12日、ポールとリンダ結婚。ポールはヘザーを正式に養女にし、その後ふたりのあいだには、1969年にメアリー、1971年にステラ、1977年にジェイムズが生まれている。
1998年4月21日乳がんの為逝去