クィーニー・エプスタイン
ブライアン、クレイヴ・エプスタインの母
マルカはユダヤ人ではあるがカトリック系の寄宿舎で教育を受け名前を英語風に変えた。元のイディッシュ語の名前の意味は「クィーン」
クィーニーの一家はシェフィールド・キャビネット社を経営していた。18歳のときに28歳だったハリー・エプスタインと結婚。
裕福な家同士の結婚だった。


クオリーメン
1957年3月 クオリーバンク中学校時代に在籍当時ジョンが初めて結成したグループ 結婚式のパーティーで演奏したりバンドコンテストに出場したりしていた
スキッフルを中心におもに当時のヒット曲を演奏していたと言う 
はじめのメンバーはジョンがギター・エリック・グリフィスがギター・ピート・ショットンが洗濯板・レン・ギャリーが茶箱のベース・コリン・ハンスンがドラムという6人編成

その年の7月 セントピーターズ教会の野外バザー会場で演奏した時にポールと出会う ジョン16歳・ポール15歳の時だった 
この日クオリーメンは午後4時15分と午後5時45分の2度のステージと寄るのダンスパーティーに出演した

スキッフル/セントピーターズ教会参照


クオリーバンク・グラマー・スクール
ジョンが通っていた学校


グッド・デイ・サンシャイン Good Day Sunshine
リボルバー 2分8秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ポール)
レコーディング 1966年6月8日、9日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
のどかな雰囲気にあふれたロッカ・バラードで、ビートルズ・ナンバーのなかでは「夏っぽい」作品。ピアノ・ソロはジョージ・マーティン。


グッド・ナイト Good Night
ザ・ビートルズ収録 3分11秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル リンゴ
レコーディング 1968年7月22日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ケン・スコット
息子ジュリアンに捧げた子守唄。ジョンは自分で歌わず、リンゴにプレゼントした。オーケストラなど外部ミュージシャンの数は35人で、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に次いで多い。
■リハーサル&テイク34
アンソロジー3  2分37秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル リンゴ
レコーディング 1968年6月28日、7月22日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック(6月)、ケン・スコット(7月)
ピアノの音にのせて歌うリハーサル・バージョン。エンディングが未完成なので、後半にはマスター・バージョンのストリングスをつないである。


グッド・モーニング・グッド・モーニング Good Morning Good Morning
サージェント・ペパー収録 2分41秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ジョン、ポール)
レコーディング 1967年2月8日、16日、3月13日、28日、29日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ジェフ・エメリック
コーンフレークのCMをヒントに作られた曲。ディストーションのきいたはでなリード・ギターはポール。動物の鳴き声を集めたSEは、強い者が弱い者を追うように登場順が工夫されている。
■テイク8
アンソロジー2収録 2分39秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン
レコーディング 1967年2月8日、16日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ジェフ・エメリック
動物のSEやコーラス、ブラスを入れる前の演奏


クライヴ・エプスタイン Clive Epstein
ブライアン・エプスタインの弟
エプスタイン家がリヴァプールの中心にあるっシャーロック通りでNEMS企画の大型店を開いたときにクライヴは電気・家庭用品売り場を担当し、ブライアンはレコード売り場を担当した
ブライアンがビートルズを発掘しそのマネジメントを担当するというのでエプスタイン家ではNEMS企画を創立することにした
1962年に資本金100ポンドで会社が設立され二人の兄弟は各50%の株を持ちクライヴは庶務担当になった(その後会社は増資しビートルズも株を保有した)
1967年にブライアンが死亡した後NEMS企画の社長に就任
1988年心臓発作で死亡


クライ・フォー・ア・シャドウ Cry For A Shadow
アンソロジー1収録 2分22秒 /詞・曲 ジョージ−ジョン ボーカル なし
レコーディング 1961年6月22日  フリードリヒ・エベルト・ホール(ハンブルク)
プロデューサー ベルト・ケンプフェルト /エンジニア カール・ハインツ
2度目のハンブルク巡業期間中にレコーディングしたインストゥルメンタルで、当時はやっていたシャドウズを皮肉った曲。作曲はジョージ&ジョンというめずらしい組みあわせ。ポールはメロディ性豊かなベース・プレイを披露している。


クライ・ベイビー・クライ Cry Baby Cry
・ザ・ビートルズ収録 2分33秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ジョン)/ポール
レコーディング 1968年7月16日、18日/9月16日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/クリス・トーマス /エンジニア ジェフ・エメリック(7月16日)、ケン・スコット(その他)
雑誌の広告をヒントに作られた曲。詞にはマザー・グースの影響が見られる。この曲のあとに収録されたタイトルのない曲は、「アイ・ウィル」のセッションで録音されたポールの即興。
■テイク1
アンソロジー3  2分45秒 /ボーカル ジョン
レコーディング 1968年7月16日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
スタジオ・ライブの形で録音。2小節の前奏がつき、歌詞では"She's old enough to know better"の1回目が入っていない


クライング・ウェイティング・ホーピング Crying, Waiting, Hoping
ライヴ・アット・ザ・BBC 収録 2分9秒 /詞・曲 バディ・ホリー ボーカル ジョージ
レコーディング 1963年7月16日 BBCパリス・スタジオ
プロデューサー テリー・ヘネベリー /エンジニア 不明
『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第8回より。バディ・ホリーが亡くなる数日前の1959年2月に録音し、死後発表された曲。


クラウス・フォアマン
アストリッドの元恋人 ビートルズとはハンブルグ時代からの友人“REVOLVER”のジャケット “ANTHOLOGY”のジャケットを描いた


グラス・オニオンGlass Onion
ザ・ビートルズ収録 2分17秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン
レコーディング 1968年9月11日、12日、13日、16日、10月10日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー クリス・トーマス(9月)、ジョージ・マーティン(10月)/エンジニア ケン・スコット
ビートルズの過去の作品を歌詞に使い、ビートルズ自身をパロティ化した曲。「セイウチはポール」というフレーズは、1969年の「ポール死亡説」で手がかりのひとつとみなされた。「フール・オン・ザ・ヒル」と歌うところでリコーダーが入る。エンディングにはどこか不気味なストリングスが効果的に加えられている。
■デモ
アンソロジー3  1分49秒/レコーディング 1968年5月 サリー州イーシャー「キンファウンス」
プロデューサー 不在 /エンジニア 不在
イーシャー・デモより。マスター・バージョンの1番の歌詞を3回続けて歌っている。一部、マスター・バージョンとは言葉が違っている。
■モノ・ミックス
アンソロジー3収録 2分6秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン
レコーディング 1968年9月11日、12日、13日、16日、26日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー クリス・トーマス/エンジニア ケン・スコット
メロトロンが使われ、エンディングにはジョージ・マーティンの休暇中にジョンが作った特殊効果音が使われている。その後マーティンがストリングスを入れることを提案したため、このSEはボツになった。


グラッド・オール・オーヴァー Glad All Over
ライヴ・アット・ザ・BBC 1分51秒/詞・曲 ベネット−テパー−シュローダー ボーカル ジョージ
レコーディング 1963年7月16日 BBCパリス・スタジオ
プロデューサー テリー・ヘネベリー /エンジニア 不明
『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第10回より。カール・パーキンスが1957年に発表した曲。ジョージは一部でファルセット・ボーカルを聴かせている


グラミー賞
アメリカ・レコード芸術アカデミーが年に1回授与する賞
1964年から1970年までの間にビートルズが与えられた賞は次の通り

1964 最優秀新人賞、最優秀歌唱グループ賞
1966 年間最優秀曲賞「ミッシェル」
最優秀現代歌唱賞「ミッシェル」
最優秀アルバム・カバー賞「リヴォルバー」
1967 最優秀アルバム賞「サージェント・ペッパー」
最優秀現代アルバム賞「サージェント・ペッパー」
最優秀アルバム・カバー賞「サージェント・ペッパー」
最優秀録音技術アルバム賞「サージェント・ペッパー」
1969 最優秀録音技術賞「アビーロード」
1970 最優秀オリジナル映画音楽賞「レット・イット・ビー」

クララベラ Clarabella
ライヴ・アット・ザ・BBC収録 2分39秒 /詞・曲 ピンガトア ボーカル ポール
レコーディング 1963年7月2日 メイダ・ベイル・スタジオ
プロデューサー 不明 /エンジニア 不明
『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第5回より。ジョディマーズが1956年に発表した曲。


クリス・トーマス
ビートルズ時代にはジョージ・マーチンの助手を務めアルバム「ザ・ビートルズ」ではピッギーズでハープシコードを、バンガロービルではメロトロンを演奏している その後一人立ちして1974年には加藤和彦とサディスティックミカバンドのアルバム製作に来日している


グリーン通り
1963年10月から1964年3月まで4人ここの通りのアパートに住んでいたが借家契約を更新できずに立ち退かなければならなかった
エプスタインがナイツブリッジにあるウォドンハウスに引っ越した際そこの1室があいていると聞いており4人はエプスタインの下の階を借りることにした


グレープフルーツ
1964年に発売されたヨーコの作品集 「言葉による指示(インストラクション)」を詩的な響きを持たせて表現したもので「インストラクション・アート」と呼ばれている。第一章の「音楽」から「絵画」「イベント」「詩」「オブジェ」「映画」「ダンス」まで七章で構成されている
目次もページ表記もなくどこから読んでもいい


グレープフルーツ Grapefruit
アップル所属第1号のタレント 名付け親はジョン ヨーコの著書のタイトルをそのままグループ名にした


クリスマス・タイム Christmas Time (Is Here Again)
シングルフリー・アズ・ア・バード収録 3分2秒/詞・曲 ジョン−ポール−ジョージ−リンゴ ボーカル ジョン、ポール、ジョージ、リンゴほか
レコーディング 1967年11月28日(曲)、1966年12月6日(セリフ) アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
1967年、ファン・クラブ会員に贈られたクリスマス・レコードのテーマ曲。歌のあとにトークが入り、4人がそれぞれクリスマス・メッセージを贈る。最後に、「蛍の光」をバックにジョンが語るユーモラスなセリフがつなげられている。


クリスマスレコード
1963年〜1969年 毎年イギリスのファンクラブ会員にクリスマスプレゼントとして無料で配られたレコード


グレッチ6120(トッポ@PLEASE)
1966年ごろ、アルバム「リボルバー」製作付近からジョンが短期間使う。ジョンのはワンタッチミューター


グロブナー・ハウス
1963年12月2日、ロンドンのグロブナー・ハウスで痙性脳性麻痺患者のためのチャリティ・コンサートを行なった


グリン・ジョーンズ Glyn Johns
レットイットビーのアルバムセッションで一時ジョージマーチンに代わってプロデュースを担当したレコーディングディレクター


グレッチ カントリージェントルマンGretsch Country Gentleman(トッポ@PLEASE)
大型のセミアコギター。fホールに穴はなくペイントのみ。ダブルミューターモデルを使用。
ミューターノブの大きい通称「ビックミュート」と小さい「スモールミュータ」など2,3本を所有していた。初期のジョージのトレードマーク。色は濃茶色。62〜63年製。ピックアップはフィルタートロンを2基搭載し、甘くときには鋭い音もだせる。


グレッチ テネシアン Gretsch Tennessian(トッポ@PLEASE)
ジョージ 中型のセミアコ 1964年〜65年にカントリージェントルマンと併用していた 映画4人はアイドルで「ヘルプ」を歌うシーンで弾いていたギター
カントリージェントルマンより少し小型のボディ。シングルカッタウェイ。音は少し固め。
ピックアップはハイロートロン。64年頃ステージでも使用される


グレッチ ディオジェットGretsch Duo Jet(トッポ@PLEASE)
ジョージがデビュー付近に使用。レスポールに似た中空のボディをもつ。アルバム「Please Please Me」ではこのギターを使用。Voxアンプとの相性で実に鋭くかつ、ごつい特徴的な音を聞くことができる。


グレッチ ファイアーバード(トッポ@PLEASE)
ジョージが数回、キャバーンクラブに使用していたことが確認されている。基本的には同社ディオジェットと同等。色は赤色。