ギブソンES−345TD(トッポ@PLEASE)
セミアコES−335の上位モデル。ステレオ出力と6種類の音色を持つヴァリトーンスイッチが特徴。ジョージのはサンバースト色。「涙の乗車券」のプロモーションで見ることができる


ギブソンJ−160 GIBSON J−160E(トッポ@PLEASE)
ジョンとジョージが1962年に同時に手にいれたアコースティックギター。独特なサウンドと歯切れの良いカッティング音はビートルズサウンドとマッチ。P90というピックアップがついているため、アンプを通して音をだすこともできる。I Feel Fineイントロのフィードバックはあまりにも有名。


ギブソンJ200(トッポ@PLEASE)
大型のボディを持つアコースティックギター。映画「LET IT BE」でジョンやジョージが使用。
「Here Comes The Sun」や「For You Blue」などがそれである。


ギブソン L-5CES Gibson / L-5CES(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用 色はサンバースト


ギブソン ファイアバードZ Gibson Fire Bird Z (さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用


ギブソンレスポール Gibson Les Paul(トッポ@PLEASE)
ジョージがエリッククラプトンから譲り受けたとされてるもので56,7年製。ピックアップはPAFに交換されていると思われる。この年式はボディのセンター接着でないのも特徴


ギブソン レスポール Gibson Les Paul(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用 1958製 色はゴールド 90年 World Tourで使用されている


ギブソン レスポール Gibson Les Paul(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用 1960年製 色レッド・サンバースト 93年World Tourで使用


キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー Keep Your Hands Off My Baby
ライヴ・アット・ザ・BBC 2分29秒
詞・曲 ジェリー・ゴフィン−キャロル・キング ボーカル ジョン
レコーディング 1963年1月22日 プレイハウス・シアター
プロデューサー バーニー・アンドリュース
エンジニア 不明
『サタデイ・クラブ』より。リトル・エバが歌った1962年のヒット曲。ビートルズが最新ヒットをカバーしたのはこれが最後。BBCで1回演奏しただけで、コンサートではとりあげていない。


君はいずこへ
アイム・ルッキング・スルー・ユー参照


キャバーン・クラブ
リバプール中心部にあり、ビートルズがもっとも数多く出演したクラブ。
1963年8月3日までに、ここで通算274回演奏している
戦時中防空壕として使われた7階建ての建物の倉庫の地下を改造して作られた

リヴァプールの中心地マシュー街10番地にあった 伝統的なトラッドクラブであったが 50年代中ごろを過ぎてからは次第に時代の波にのりロックンローラーを迎え入れるようになった

ビートルズとブライアン・エプスタインがはじめてあったのもここ シラ・ブラックがデビュー前にクローク係として働いていた事もある


キャピトル・レコード
アメリカのレコード会社


キャベンディッシュ・アベニュー
ポールの自宅

1965年3月、ポールはロンドンの中心地セント・ジョンズ・ウッドにある3階建ての一軒家を購入。

アビイ・ロード・スタジオのすぐ近くにあるこの家は、1960年代後半ビートルズの「仕事場」になることも多かった。
この家は現在もポールが所有している。


キャリー・ザット・ウェイト Carry That Weight
アビイ・ロード 1分35秒
詞・曲 ジョン−ポール  ボーカル ポール(ジョージ、リンゴ)
レコーディング 1969年7月2日、3日、4日、30日、31日、8月15日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン
エンジニア フィル・マクドナルド、ジェフ・エメリック(7月30日、31日、8月15日)
ポールのビートルズ決別宣言。この曲で「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」のメロディが再登場すると、『アビイ・ロード』B面のメドレーもいよいよクライマックスを迎える。


ギャロトーン・チャンピオン Gallotone 'Champion'
1956年ごろジョンが通信販売で手に入れた初めてのギター クオリーメン結成当事使用していた 1957年7月6日ポールとはじめてあった時もジョンはこのギターを使用していた


キャロル Carol
ライヴ・アット・ザ・BBC 2分34秒
詞・曲 チャック・ベリー ボーカル ジョン
レコーディング 1963年7月2日 メイダ・ベイル・スタジオ
プロデューサー 不明
エンジニア 不明
『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第5回より。チャック・ベリーが1958年に発表した曲で、ローリング・ストーンズが1964年にカバー・バージョンを発表している。


キャロル・レヴィス・ショー
新人発掘番組 1959年3月ジョニー&ムーンドックスで予選に出場 決勝まで残るがグラディアトールズと言うバンドに首位をさらわれる


キャント・バイ・ミー・ラヴ Can't Buy Me Love
シングル、ハード・デイズ・ナイト、EP、赤盤収録  2分11秒
詞・曲  ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1964年1月29日、2月25日、3月10日 パテ・マルコーニ・スタジオ(パリ)(1月29日)、アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン
エンジニア ノーマン・スミス
6枚目のシングルで、210万枚という予約枚数の最高記録を樹立した1964年最大のヒット曲。パリ公演の期間中にレコーディングした。

■テイク2
アンソロジー1 収録  2分9秒
ボーカル ポール(ジョン、ジョージ)
レコーディング  1964年1月29日  パテ・マルコーニ・スタジオ(パリ)
プロデューサー ジョージ・マーティン
エンジニア ノーマン・スミス
このテイクではキーが1音高いDで演奏している。マスター・バージョンにないジョンとジョージのコーラスや、オブリガート風のギターが特徴。

■BBC
ライヴ・アット・ザ・BBC収録  2分6秒
ボーカル ポール
レコーディング 1964年2月28日 BBCピカデリー・スタジオ
プロデューサー ブライアント・マリオット
エンジニア 不明
『フロム・アス・トゥ・ユー』第2回より。一発どりではなく、ボーカルはダブル・トラック。

■ハリウッド・ボウル・ライブ)
スーパー・ライヴ 2分8秒
ボーカル ポール
レコーディング1965年8月30日 ハリウッド・ボウル(ロサンジェルス)
プロデューサー ジョージ・マーティン、ヴォイル・ギルモア
エンジニア ジェフ・エメリック
ジョージのギター・ソロはかなりアドリブがきいている

キャンドルスティック・パーク・コンサート
1966年8月29日にサンフランシスコのこの球場で行なわれたこのときのコンサートが、ビートルズ最後のコンサートとなった。これが最後になるとは知らずに、2万5,000人がコンサートを見とどけた。ジョンとポールは、記念にステージ上で写真を撮ったり、スタッフに頼んで自分たちの最後のコンサートのもようをテープに録音してもらっていた。演奏時間は33分、コンサート最後の曲は‘Long Tall Sally’だった。


キャンディ
クリスチャン・マルカンドが監督するこの成人向け映画は、リンゴが役者として初めて単独出演した作品 主人公キャンディを犯そうとするが未遂に終わるメキシコ人庭師エマニュエルの役で、ほんの数カットに登場

キョーコ
ヨーコと彼女の2番目の夫、映画監督のアンソニー・コックスとの間にできた娘 「キョーコちゃん心配しないで」の主人公


キリスト発言
1966年3月、ジョンがイギリスの新聞のインタビューのなかで「ビートルズは今やキリストよりも人気がある」と発言したことがきっかけ。イギリスではなにも反響が起こらなかったが、7月29日付のアメリカの雑誌『デイトブック』にこのインタビューが掲載されると、たちまち熱心なキリスト教徒から抗議が殺到した。その後、公の場でビートルズのレコードや写真が燃やされたり、ラジオで曲の放送をボイコットされるなど、ビートルズ排斥運動が拡大した。アメリカ公演を翌日にひかえた8月11日、記者会見場でジョンが謝罪したことで、ようやく事態はおさまった