ファブ・フォー Fab Four
もっともよく用いられたビートルズのあだ名
この言葉はアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」の発売後、ディスク・ジョッキーをはじめとしたメディア関係者が使い始めた。


フィクシング・ア・ホール Fixing A Hole
サージェント・ペパー収録 2分35秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ポール)
レコーディング 1967年2月9日、21日  リージェント・サウンド・スタジオ(9日)、アビイ・ロード・スタジオ(21日)
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア エイドリアン・イベットソン(9日)、ジェフ・エメリック(21日)
ハープシコードが曲のイメージを決めている。リンゴのハイハット・プレイにも注目したい。詞作面でのポールの秀作のひとつ。


フィル・スペクター
1940年12月26日ニューヨーク生まれロスアンジェルス育ち。10代でテディ・ベアーズを結成し、その後プロデューサーに転向。

「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる独自の多重録音システムを開発して、アイク&ティナ・ターナーやロネッツ、クリスタルズなどの名曲を手がけ、「伝説的」プロデューサーとなる。
‘Instant Karma!’をプロデュースした力量を買われて、ジョンから“LET IT BE”の制作を依頼される。「原点に帰る」べきアルバムとなるはずだった“LET IT BE”は、皮肉にも華美な装飾がほどこされた仕上がりとなり、賛否両論を巻き起こした。‘The Long And Winding Road’にオーケストラがオーバーダビングされたことにポールが激怒したという話は有名。


フェンダー エスクワイヤ Fender Esquire(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 右利き用 色はサンバースト 
ComingUpのプロモーションビデオで使用


フェンダー ストラトキャスター Fender Stratcaster(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用 色はサンバースト


フェンダー ストラトキャスター Fender Stratcaster(トッポ@PLEASE)
60年代初期のソニックブルーフィニッシュカラー。ジョンもジョージも65年頃入手したと思われレコーディングに使用。ジョージはのちにサイケデリックペイントを施す


フェンダー テレキャスター Fender Telecaster(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター右利き用 色はサンバースト アルバムMcCartneyの見開きに見られる


フェンダー テレキャスター Fender Telecaster(さんぽ@わてB)
ポール使用のエレクトリックギター 左利き用 色はサンバースト


フェンダーオールローズ・テレキャス(トッポ@PLEASE)
ボディやネックにローズウッドを使用している。軽量化のため中が中空構造となっている。


フェンダーBass VII(トッポ@PLEASE)
ショートスケールで6弦のべースギター。映画レットイットビーでジョンが使用している。
単音でも充分な音だが、コードフレイなども自在である。


フォースリン・ロード20番地
ポールが13歳から21歳まで暮らした マッカートニー一家がここに移ってきた翌年に、母メアリーは乳癌であることがわかり、わずか2か月後に他界する。このときの悲しみが、ポールを音楽の世界へと導いたという。
ポールがリヴァプールで住んだ7番目のそして最後の家
1955年にレンブラントに引っ越した

ジョンは毎日のようにこの家を訪れ、ポールと曲を作った。初期のレノン=マッカートニーの作品の多くが、この家で生まれた。

歴史的建造物や美しい自然景観などを保護、保存しているイギリスの民間団体ナショナル・トラストが歴史的建造物として買い取り、ビートルズ誕生の地として保存、公開するために修復。ポールが住んでいた当時のように内装を復元した。1998年にはオーディションで住み込み管理人を決め、7月29日から家の内部が一般公開されている。


フォー・セール
ビートルズ・フォー・セール BEATLES FOR SALE参照


フォー・ノー・ワン For No One
リボルバー収録 1分58秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1966年5月9日、16日、19日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
フレンチ・ホルンをフィーチャーしたクラシカルな雰囲気の作品。ジョンとジョージは不参加


フォー・ユー・ブルー For You Blue
レット・イット・ビー 2分30秒 /詞・曲 ジョージ ボーカル ジョージ
レコーディング 1969年1月25日、1970年1月8日 アップル・スタジオ(1969年)、オリンピック・サウンド・スタジオ(1970年)
プロデューサー ジョージ・マーティン(1969年)、グリン・ジョンズ(1970年)/エンジニア グリン・ジョンズ
ジョージが作ったカントリー・ブルース風のナンバー。ジョンがスライド・バーで弾くスチール・ギターが聴きもの。
■アンソロジー3収録 2分18秒
レコーディング 1969年1月25日 アップル・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア グリン・ジョンズ
バンドとして息のあったノリのいい演奏。ジョンのスライド・ギターはほぼ完成している。ピアノは低音が印象的。


ブッチャー・カバー
アメリカ編集のアルバム“'YESTERDAY'...AND TODAY”のジャケットのこと

当初、肉屋(ブッチャー)の白衣を着た4人が、首と胴体とがばらばらになった人形と生の肉片を持っている写真が使われていたため、通称「ブッチャー・カバー」と呼ばれるようになった。

写真のグロテスクさから、6月15日のアルバムの発売と同時に批判が殺到したため、翌日には回収され、20日に新しい写真で再発売された。

これと前後して「ブッチャー」写真はイギリスの雑誌にも掲載されたが、イギリスでは騒ぎは起こらなかった。


武道館
1966年6月30日〜7月2日公演
武道館がコンサートで使われたのはこれが初めて

東京都千代田区北の丸公園2番3号 北の丸公園(皇居旧北の丸跡地)にある
爆風スランプの「大きなタマネギの下で」で歌われている「タマネギ」とは
てっぺんにとりつけられている擬宝珠(ぎぼし)のこと


プライマル・スクリーム
アメリカの心理学者 アーサー・ヤノフ博士がプライマル精神療法についてその研究結果をまとめたもの ジョンは70年に出版されてまもなくこの本とであった
精神的な苦痛の根源をつきとめ回復させる為には「声に出して悩みを叫んだり泣いたりする事」が有効であると述べられている
‘Mother’や‘God’という曲に代表されるように、“JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)”にはプライマル療法の影響が顕著に表れている。アルバムはフィル・スペクターがプロデュースし、リンゴも参加した。


ブライアン・エプスタイン Brian Epstein
ビートルズのマネージャー
本名ブライアン・サミュエル・エプスタイン。1933年9月19日、リバプールでユダヤ系の裕福な家庭に生まれる。
ビートルズとの関係は、エプスタイン自身の回想によれば、そもそも両親が営んでいた事業の一環であるNEMSレコード店を経営していたころ、レイモンド・ジョーンズというひとりの少年がビートルズの‘My Bonnie’というレコードを求めてやって来たことから始まったと言われている。在庫管理には絶対の自信を持っていたエプスタインは、この聞きなれないバンドのことが気にかかり、さまざまな手をつくしてビートルズのことを調べはじめたという。そしてようやく、ビートルズが自分の店と目と鼻の先にあるキャバーン・クラブに出演していることをつきとめた。エプスタインは、自分の財産を投じてマネージメント会社、NEMSエンタープライズを設立。エプスタインがビートルズのマネージャーとして最初に手がけた仕事は、メンバーのイメージ・チェンジだった。プロのミュージシャンになるための第一歩として、次のようなルールをとり決めた。「黒のレザーの服をやめ、ステージではスーツを着る」「ステージでふざけたり客に話しかけたりしない」「ステージでものを食べたりガムをかんだりしない」「ステージの前にあらかじめ演奏曲目リストを作り、いきあたりばったりの演奏をしない」「時間厳守」など。エプスタインは敏腕マネージャーとして、確実にビートルズをスーパースターへの軌道に乗せる手助けをしていく。

1967年8月27日、エプスタインが自宅の寝室で変死しているのが発見された。検視解剖の結果、死因は薬物の過剰投与だという裁決が下された


ブライアン・プール&ザ・トレメローズ Brian Poole&Tremeloes
エセックス州ダグナム出身のグループ 1962年1月1日にデッカのオーディションを受けた。
デッカのディック・ロウはその日にマイク・スミスが録音した二つのグループのうちどちらかを採用することにしていた
そしてその結果ビートルズではなくこのグループがデッカに採用されたのだった。


フライング Flying
マジカル・ミステリー・ツアー、EPマジカル・ミステリー・ツアー収録 2分14秒/詞・曲 ジョン−ポール−ジョージ−リンゴ ボーカル なし(ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ)
レコーディング 1967年9月8日、28日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ジェフ・エメリック(8日)、ケン・スコット(28日)
映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のために4人が作った曲。ジョンとリンゴの合作による低音部のエフェクトは、オルガンの逆回転やピアノらしきサウンドも入り、サイケデリックな雰囲気を増している。


フラマス12弦ギター(トッポ@PLEASE)
ドイツのギターメーカー。映画「ヘルプ(四人はアイドル)」の中でジョンが使用していたのを見ることができる。この頃レコーディング等にも多用している。


フリー・アズ・ア・バード Free As A Bird
アンソロジー1、シングル収録 4分24秒 /詞・曲 ジョン(オリジナル)/ジョン−ポール−ジョージ−リンゴ(ビートルズ・バージョン) ボーカル ジョン、ポール、ジョージ
レコーディング 1977年ごろ/1994年2月〜3月  ニューヨーク/イギリス、サセックス
プロデューサー ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ、ジェフ・リン/エンジニア ジェフ・エメリック
1995年、25年ぶりに発表されたビートルズの「新曲」。ジョンの未完のデモ・テープにポール、ジョージ、リンゴが手を加えて仕上げた。


プリーズ・プリーズ・ミー PLEASE PLEASE ME
イギリス 1963年3月22日 (モノラル) 1963年4月26日 (ステレオ)
日本 1976年6月20日 (ステレオ) 1982年1月21日 (モノラル)
初CD化 1987年2月26日 (モノラル) 主要国で同時発売 日本盤CD番号 / CP32 - 5321
日本盤新装再発CD 1998年3月11日 (モノラル) / TOCP-51111
【収録曲】
アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼアI Saw Her Standing There  ミズリーMisery アンナAnna(Go To Him) チェインズChains ボーイズBoys アスク・ミー・ホワイ Ask Me Why プリーズ・プリーズ・ミーPlease Please Me ラヴ・ミー・ドゥLove Me Do P.S.アイ・ラヴ・ユーP.S. I Love You ベイビー・イッツ・ユーBaby It's You ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレットDo You Want To Know A Secret 蜜の味A Taste Of Honey ゼアズ・ア・プレイスThere's A Place ツイスト・アンド・シャウトTwist And Shout


フライア・パーク
1969年にジョージが買った120の部屋があるビクトリア朝の大邸宅
1889年にフランク・クリスプ卿によって建てられたこの建物は10年以上にわたって聖ジョン・ボスコ修道会の修道女が使っていたが維持費を払えなくなり倒壊寸前になっていた。そんな荒れた状態で買ったため修復している間ジョージとパティは敷地内の作業員用の小屋に住んでいた
オール・シングス・マスト・パスの中の「バラッド・オブ・サー・フランシス・クリスプ」でジョージはこの建物の元の所有者に敬意を表している


プラスティック・オノ・バンド
ジョンが自分の名前を改名した際に考え出したバンドの名前。ジョンとヨーコのほかのメンバーは流動的で、1969年9月13日に催された「ロックンロール・リバイバル・コンサート」では、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトが出演した。2度目のステージとなった12月15日の「ピース・フォー・クリスマス」コンサートには、ジョージやビリー・プレストンらも加わった。また、レコーディングにはジョージやリンゴが参加したこともある。1969年から1972年のあいだに、ジョンの作品で「プラスティック・オノ」の名前が入ったシングルは7枚、アルバムは6枚リリースされた。


フラクスマン・コート
ビートルズが「ヘイ・ジュード」や『ホワイト・アルバム』の数曲をレコーディングしたスタジオ ソロになったリンゴやジョージ、またアップル・レーベルのアーティストもよく使い、1968年にポールがプロデュースしたメリー・ホプキンの「悲しき天使」のレコーディングもここ


プリーズ・プリーズ・ミー Please Please Me
シングル、プリーズ・プリーズ・ミー、EPザ・ビートルズ・ヒッツ、赤盤収録 2分0秒/詞・曲  ジョン−ポール ボーカル ジョン(ポール、ジョージ)
レコーディング 1962年11月26日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
セカンド・シングルで、初めてイギリスのチャートでナンバーワンを獲得した曲。「プリーズ」という言葉をふたつの意味で使った詞はロイ・オービソンの曲がアイデアになっている。
■初期テイク
アンソロジー1収録 1分58秒/ボーカル ジョン
レコーディング 1962年9月11日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ノーマン・スミス
残されたレコーディング・テープのなかでもっとも初期のテイク。まだハーモニカが入っていない。サビのコーラスもなく、ジョンのボーカルがよく聞こえる。ドラムはアンディ・ホワイト(リンゴは不参加)で、オカズが多くて派手なドラミングである。


プリーズ・ミスター・ポストマン Please Mister Postman
ウィズ・ザ・ビートルズ収録 2分34秒/詞・曲 ホランド−ゴーマン−ドビンズ−ベイトマン−ガレット ボーカル ジョン(ポール)
レコーディング 1963年7月30日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
女性ボーカル・グループのマーベレッツが1961年にヒットさせた曲。ビートルズ・バージョンはテンポが速く、ロック寄りの仕上がりだ。演奏よりコーラスが前面に出ているところもビートルズらしい。


ブラックバード Blackbird
・ザ・ビートルズ収録 2分19秒/詩・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1968年6月11日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
ポールがひとりでレコーディングしたフォーク・バラード。歌詞の一部はジョンが書いた。ブラック・パワーへの応援歌とも解釈できる。
■テイク4
アンソロジー3収録 2分18秒/レコーディング 1968年6月11日 アビイ・ロード・スタジオ
バース部分とコーラス部分の順序が若干異なる。鳥のさえずりのSEはまだ入っていない。


プリンス・オブ・ウェールズ劇場
1963年11月4日、王室主催の「ロイヤル・バラエティ・ショー」がここで行なわれ、ロック・グループとしては初めてビートルズが出演。皇太后とマーガレット王女を前にしてジョンが言った文句は有名
「安い席の方は拍手をしてください。そのほかの方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」


フール・オン・ザ・ヒル The Fool On The Hill
マジカル・ミステリー・ツアー、EPマジカル・ミステリー・ツアー、青盤収録 2分57秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1967年9月25日、26日、27日、10月20日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン(9月26日は不在) /エンジニア ケン・スコット
地動説をとなえたガリレオ・ガリレイをヒントに作ったと言われる。ハーモニカはジョンとジョージ、リコーダーはポール。
■デモ
アンソロジー2収録 2分47秒/レコーディング1967年9月6日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
ポールがひとりでピアノを弾きながら歌う。メロディはできているが、歌詞はマスター・バージョンの半分くらいしかできていない。
■テイク4
アンソロジー2収録 3分43秒/レコーディング 1967年9月25日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ケン・スコット
全員でレコーディングしたテイク。リコーダーも2トラック重ねてあるが、歌詞はまだ第2節までしか確定していない


ブルー・ジェイ・ウェイ Blue Jay Way
マジカル・ミステリー・ツアー、EP13 3分54秒/詩・曲 ジョージ ボーカル ジョージ(ジョージ)
レコーディング 1967年9月6日、7日、10月6日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック、ピーター・ビンス(9月7日)
ギターレスのサウンドで、ジョージはハモンド・オルガンを演奏。リンゴのドラムは複雑なフィルインをからめている。バック・コーラスにも逆回転を用いてサイケデリックな効果を出している。タイトルは作曲時に滞在していたロサンジェルスの通りの名前をそのままつけた


ブルー・スエード・シューズ Blue Suede Shoes
アンソロジー3 1分55秒/詩・曲 カール・パーキンス ボーカル ジョン,ポール
レコーディング 1969年1月26日 アップル・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア グリン・ジョンズ
カール・パーキンスが1955年に発表した曲。ゲット・バック・セッションのあいまに演奏された。絶妙かつエネルギッシュな演奏は、ライブ・バンドとしてのビートルズのキャリアを物語る。アルバムには「リップ・イット・アップ」「シェイク、ラトル&ロール」とのメドレーで収録。


プルーデンス・ファーロゥ
イギリス女優ミア・フォーロゥの妹
1968年にビートルズがインドに行った時に姉のミア・ファーロゥと共に同行している 「ディア・プルーデンス」は彼女を歌ったもの
瞑想修行にのめりこんで部屋から一歩も出てこなくなったというエピソードをもとにしたもの


プレミア (すった@わてB)
有名な英国のドラムメーカー。Ringoがデビュー前後に使用していた。ロイヤルエースを使用していたと思われる(?)。
レゾネーター構造(2重構造)の胴を使用していることで有名なメーカーで、ピート・ベストも使用していた。


ブロードウェイ街92番
マッカートニー家が1942年と1943年の2年間住んでいた家
ジムとメアリーのマッカートニー夫妻は赤ん坊だったポールを連れてこの家に引っ越してきた。しかし弟マイケルが生まれた後リヴァプールに戻った。この通りはドッグに近く空気が汚かったからだった


フロム・アス・トゥ・ユー(BBC) From Us To You
ライヴ・アット・ザ・BBC収録  0分27秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン、ポール
レコーディング 1964年2月28日 BBCピカデリー・スタジオ
プロデューサー ブライアント・マリオット /エンジニア 不明
ビートルズのラジオ特別番組『フロム・アス・トゥ・ユー』のテーマ曲。歌詞の「ミー」を「アス」に変えて歌っている。ショート・バージョンとロング・バージョンが存在するが、こちらは番組冒頭で使われたショート・バージョン。


フロム・アス・トゥ・ユー From Us To You
休暇の時期に4回にわたって放送されたBBCのラジオ番組
第1回は1963年12月26日放送
第2回 1964年3月30日放送


フロム・ミー・トゥ・ユー From Me To You
シングル、EPザ・ビートルズ・ヒッツ、パスト・マスターズ1、赤盤 収録 1分56秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン、ポール
レコーディング 1963年3月5日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
イギリスで3枚目のシングル。ファンへの感謝の気持ちを込めてジョンとポールが作った曲。イントロにジョンのハーモニカをフィーチャー。
■ライブ
アンソロジー1収録 2分5秒
レコーディング 1963年10月24日 カーラプラーンスステューディオン(ストックホルム)
プロデューサー クラース・ブールリング /エンジニア ハンス・ウェストマン
スウェーデンのラジオ番組用ライブ。ハーモニカは入っていない。


プロモーション・クリップ
現在ではプロモーション・ビデオを作るのはあたりまえになっているが、それを最初に試みたのはビートルズだった。ニュー・シングルをリリースするたびにプロモーション活動をかねてテレビ出演していたビートルズは、自分たちでクリップを作ってそれをイギリス国内や海外のテレビ局に配給することを考えたのだ。プロモ・クリップを活用することによって、時間と労力を節約し、かつ全世界に向けて効果的な宣伝ができるようになった。1965年11月、初のクリップ‘We Can Work It Out’、‘Day Tripper’、‘Help!’、‘Ticket To Ride’、‘I Feel Fine’が制作された。