ヒア・カムズ・ザ・サン Here Comes The Sun
アビイ・ロード、青盤収録 3分5秒 詞・曲 ジョージ ボーカル ジョージ(ジョージ)
レコーディング 1969年7月7日、8日、16日、8月6日、11日、15日、19日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア フィル・マクドナルド、ジェフ・エメリック(8月11日、15日、19日)
エリック・クラプトンの家で書かれたアコースティック・ナンバー。この曲と「サムシング」によって、ジョージはジョンやポールと肩を並べるソングライターとして認められるようになった。何種類もの音でオクターブを変えて出てくるリフは、シンセサイザーによる。


ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア Here, There And Everywhere
リボルバー収録 2分23秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ジョン、ポール、ジョージ)
レコーディング 1966年6月16日、17日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
ジョンも絶賛するポールのラブ・バラード。一寸の乱れすら許さないようなジョンとジョージのコーラスが、曲をいっそう美しくしている。
■テイク7&13
シングル収録 2分23秒/詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1966年6月16日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
コーラスが入っていないシンプルな演奏のテイク7。エンディング近くに、テイク13のコーラスを重ねてある。


ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト Being For The Benefit Of Mr. Kite!
・サージェント・ペパー収録 2分36秒/詩・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ジョン)
レコーディング 1967年2月17日、20日、3月28日、29日、31日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック
ビクトリア朝時代のサーカスのポスターをヒントに書かれた曲で、歌詞はポスターの文句をほとんどそのまま引用している。「おがくずの匂いが床にするような音にしたい」というジョンのアイデアをもとに、ジョージ・マーティンが苦労してサイケデリックなSEを作りあげた。
■テイク1&2
アンソロジー2収録 1分5秒
レコーディング1967年2月17日 アビイ・ロード・スタジオ
テイク1が始まる前に、エンジニアの言ったタイトルをジョンが訂正し、こだわりをみせている。
■テイク7
アンソロジー2収録 2分33秒
レコーディング 1967年2月17日、20日 アビイ・ロード・スタジオ
ジョンの曲のベーシック・トラックにしては、めずらしくギターが入っていない。イントロのベースは1度と5度を同時に弾いている。


P.S.アイ・ラヴ・ユー P.S.I Love You
シングル・ラヴ・ミー・ドゥ、プリーズ・プリーズ・ミー、EPオール・マイ・ラヴィング収録 2分2秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ジョン、ジョージ)
レコーディング 1962年9月11日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ロン・リチャーズ /エンジニア ノーマン・スミス
デビュー・シングルのB面。カリプソの雰囲気もただよう。かけあいコーラスが小気味よい。ドラムはアンディ・ホワイトで、リンゴはマラカスを担当


ビコーズ Because 2分45秒
・アビイ・ロード収録/詩・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン、ポール、ジョージ
レコーディング 1969年8月1日、4日、5日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド
ベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」をヒントに生まれた曲。コーラスの美しさは絶品で、詞も簡潔ながら深みがある。ビートルズ・ナンバーのレコーディングでは初めてムーグ・シンセサイザーが使われた。
■ビコーズ(ボーカルのみ) 2分20秒
アンソロジー3収録
レコーディング 1969年8月1日、4日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド
楽器のトラックを抜いたリミックス。ジョン、ポール、ジョージによる美しいハーモニーだけを味わうことができ、3声のコーラスを3回重ねた9つの声部がはっきりわかる。


ピース・フォー・クリスマス
1969年12月15日 ロンドンのライセアム・ボールホールでジョンとヨーコが主催した国際児童救済基金(ユニセフ)のチャリティショー


ピーター・アッシャー Peter Asher
「ピーターとゴードン」のメンバー ジェーン・アッシャーの兄 

グループ解散後アップルのA&R部門のチーフとなりジェームス・テイラーのデビューアルバム「心の旅路」をプロデュース 

1969年5月にアラン・クラインにアップルを解雇される


ピーター・ゴールドマン
スェーデン人の監督でビートルズが「ストロベリーフィールズ・フォーエヴァー」と「ペニー・レイン」のビデオを作る際に起用した
ビートルズはトップ・オブ・ザ・ポップスなどの番組に挿入するための映像を作ることにしたのだ シングルを宣伝するためにテレビ番組に出演することは非常に厄介になっていて比較的簡単な解決策は国内でも国外でも使える宣伝フィルムを作ることだったとジョンは語っている。
これはその後一般化した「プロモーションビデオ」の始まりだった


ピッギーズ Piggies
ザ・ビートルズ収録 2分4秒
詞・曲 ジョージ ボーカル ジョージ(ジョージ)
レコーディング 1968年9月19日、20日、10月10日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー クリス・トーマス(9月)、ジョージ・マーティン(10月)/エンジニア ケン・スコット
人間を豚に見たてた歌詞が皮肉たっぷり。エンディング近くの「豚がベーコンを食べる」という強烈なフレーズはジョンのアイデアだった。クリス・トーマスの弾くハープシコードがバロック・スタイルの曲によく合っている。
■デモ
アンソロジー3収録 1分59秒/ボーカル ジョージ
レコーディング 1968年5月 サリー州イーシャー「キンファウンス」
プロデューサー 不在 /エンジニア 不在
イーシャー・デモより。ハープシコードの部分をギターで弾いている。「豚がベーコンを食べる」のところは「豚がポーク・チョップを食べる」となっている。


ピート・ショットン
ジョンの幼馴染 クオリーメンの最初のメンバー 1965年仕事が無くて困っている時にジョンがスーパーマーケットを彼の為に買って彼に経営を任せてくれた 1967年にアップルレコードのマネージャーになっている


ピート・ベスト Pete Best
本名ピーター・ランドルフ・ベスト。1941年11月24日、父の赴任地インドで生まれる。ベスト一家は1945年に本国イギリスへ戻った。ピートはカスバ・コーヒー・クラブで、クオリーメンと出会う。1960年ポールに誘われてドラマーとしてビートルズ加入 1962年グループから離れる


ひとりぼっちのあいつ
ノー・ウェア・マン参照


ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!
“A HARD DAY'S NIGHT”の邦題 A HARD DAY'S NIGHT参照


ビートルズ・フォー・セール BEATLES FOR SALE
イギリス 1964年12月4日 (モノラル / ステレオ)
日本 1965年3月15日 (ステレオ) 1982年1月21日 (モノラル)
初CD化 1987年2月26日 (モノラル) 主要国で同時発売 日本盤CD番号 / CP32 - 5324
日本盤新装再発CD 1998年3月11日 (モノラル) / TOCP-51114
【収録曲】
ノー・リプライNo Reply アイム・ア・ルーザーI'm A Loser ベイビーズ・イン・ブラックBaby's In Black ロック・アンド・ロール・ミュージックRock And Roll Music アイル・フォロー・ザ・サンI'll Follow The Sun ミスター・ムーンライトMr. Moonlight カンサス・シティ〜ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイKansas City〜Hey, Hey, Hey, Hey エイト・デイズ・ア・ウィークEight Days A Week ワーズ・オブ・ラヴ
Words Of Love ハニー・ドントHoney Don't エヴリー・リトル・シングEvery Little Thing パーティーはそのままにI Don't Want To Spoil The Party ホワット・ユー・アー・ドゥーイングWhat You're Doing みんないい娘Everybody's Trying To Be My Baby


ビートルズブック
1963年から発行されたファンクラブ会報誌


ビートルマニア
「スターの殿堂」ロンドン・パラディアムから生中継された『サンデイ・ナイト』にビートルズが出演すると、会場の中はもちろん、建物の外までも絶叫する女の子たちであふれかえり完全にパニック状態となった。翌朝の新聞はそろってそのようすをひとつの社会現象として写真とともに大きくとりあげ、なかでも『デイリー・ミラー』紙は「ビートルマニア」という新しい言葉で表現した。以来「ビートルマニア」はビートルズ・ファンやその熱狂ぶりを示す用語として世界中に定着していった。


ビー・ビー・キング B.B. King
ジョンの好きな黒人ブルースシンガー 1971年6月にイギリスに渡ってアルバム「B.B.キング・イン.ロンドン」をレコーディングした時はリンゴがセッションミュージシャンとして参加している


ビービーシー BBC
イギリスのNHK


BBC PARIS STUDIOS
ビートルズがラジオ番組で生演奏したスタジオ。アルバム "Live at the BBC" のジャケット写真が撮影された場所。


ピープル アンド プレイス
マンチェスターのグラナダ放送のテレビ番組 ビートルズの初めてのテレビ出演番組


ビリー・プレストン Billy Preston
ゲット・バック・セッション中、一時グループを離れていたジョージが、復帰した際に連れてきたキーボード・プレイヤーで、アップル屋上でのライブにも参加している。1946年9月2日、テキサス州ヒューストン生まれ。ビートルズとの出会いは1962年にまでさかのぼり、当時彼はリトル・リチャードのバック・バンドの一員で、ビートルズと同じショーに出演していた。ソロとなってからはアップルに所属していたこともある。ビートルズ解散後もジョージ、ジョン、リンゴのレコーディングやコンサートに参加。1989年と1995年にはリンゴ&オールスター・バンドのツアーにも参加した。