パイステ (すった@わてB)
世界的に有名なスイスのシンバルメーカー。音はキラキラと明るく、ロック向きのシンバルが多い。
Ringoは主に、サイドシンバルとして使用していたらしい。(ジルジャン<「し」の段落のジルジャンを参照>と併用していた。)
記憶をたどれば、ロック向きに<404シリーズ><505シリーズ>(現在は生産していない)<2002シリーズ><WILDシリーズ><The PISTEシリーズ>。
フュージョン、ジャズ向けに、<フォーミュラー602シリーズ(生産中止)><サウンドフォーミュラー><サウンドクリエーション>などがある。
世界初のカラーシンバル(ブリリアント使用)を出し、根強い人気を誇っている。


ハイハット (すった@わてB)
ハイハットスタンドと言うのが正式名称で、1930年代から1940年代頃登場する。それの原型となるものは1920年代後半に背の低い足で踏むだけの物が出るのであるが、これを叩いて演奏するようにしてみたいと言う発想の元に考案されたと思う。
余り大きくないシンバルを上下に組み合わせ、ペダルを踏む事でスプリングの力を利用して、上側に取りつけたシンバルを上下運動させる事で、クラッシックで使われる両手で持って演奏するシンバル奏法を取り入れたもの。
それをスティックで叩く事により、幅広いリズムに対応できるようになった。
Ringoはこのハイハットシンバルを前後にスライドさせるような奏法を独自であみ出し、ハーフオープン(少しシンバルの隙間を開けて叩く)奏法でツブ立ちのハッキリしない「ジャ―――・・・・」と言う残響音を何時までも出しているような奏法を得意としている。またクローズハット(シンバルを閉じた状態で叩く)奏法の際には、ストレートな8ビートなのに「シャッフル(チッキチッキ・・・と跳ねたようなサウンド)」に近くなったようなサウンド奏法を取り入れている。


ハウ アイ ウォン ザ ウォー How I Won The War
ジョンがはじめてグループから離れて出演した戦争映画
ジョンはリチャード・レスター監督のこの反戦映画に、兵卒グリップウィード役で出演。役づくりのためにビートルズ・ヘアを短く切り、丸めがねをかけたが、これ以後このめがねはジョンのトレードマークとなった。映画の撮影中、ジョンはわき役だったので待ち時間がたっぷりとあり、その間に‘Strawberry Fields Forever’を作っている。


ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イット How Do You Do It
アンソロジー1収録 1分57秒 /詞・曲 ミッチ・マレー ボーカル ジョン
レコーディング 1962年9月4日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ノーマン・スミス
ビートルズのデビュー曲とすべく、ジョージ・マーティンが用意した曲。オリジナル曲でデビューしたかった4人の意向でボツになった。その後ジェリー&ペースメイカーズがヒットさせる。


ハグストロム・フュチュラマ・グラジオッソ
ジョージ・ハリスンが初めて入手したといわれるエレクトリック・ギター。

1961年に録音された「エイント・シー・スウィート」のレコーディングに使用されたといわれている


バースデイ Birthday
ザ・ビートルズ収録 2分42秒/詩・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン、ポール
レコーディング 1968年9月18日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー クリス・トーマス/エンジニア ケン・スコット
ポールがスタジオで書き、ジョンが仕上げを手伝った。ヨーコとパティがコーラスで参加。


パスト・マスターズVOL.1 PAST MASTERS・VOLUME ONE
イギリス 1988年3月7日 CD
日本 1988年3月7日 CD / 日本盤CD番号 CP-32-5601
日本盤新装再発CD 1998年3月11日 / TOCP-51125

【収録曲】
ラヴ・ミー・ドゥLove Me Do フロム・ミー・トゥ・ユーFrom Me To You サンキュー・ガールThank You Girl シー・ラヴズ・ユーShe Loves You アイル・ゲット・ユーI'll Get You 抱きしめたいI Want To Hold Your Hand ジス・ボーイThis Boy 抱きしめたい(ドイツ語版)Komm, Gib Mir Deine Hand シー・ラヴズ・ユー(ドイツ語版)Sie Liebt Dich ロング・トール・サリーLong Tall Sally アイ・コール・ユア・ネームI Call Your Name スロウ・ダウンSlow Down マッチボックスMatchbox アイ・フィール・ファインI Feel Fine シーズ・ア・ウーマンShe's A Woman バッド・ボーイBad Boy イエス・イット・イズYes It Is アイム・ダウンI'm Down


パスト・マスターズVOL.2  PAST MASTERS・VOLUME TWO

イギリス 1988年3月7日 CD
日本 1988年3月7日 CD / 日本盤CD番号 CP32-5602
日本盤新装再発CD 1998年3月11日 / TOCP-51126

【収録曲】
デイ・トリッパーDay Tripper 恋を抱きしめようWe Can Work It Out ペイパーバック・ライターPaperback Writer レインRain レディ・マドンナLady Madonna ジ・インナー・ライトThe Inner Light ヘイ・ジュードHey Jude レボリューションRevolution ゲット・バックGet Back ドント・レット・ミー・ダウンDon't Let Me Down ジョンとヨーコのバラードThe Ballad Of John And Yoko オールド・ブラウン・シューOld Brown Shoe アクロス・ザ・ユニバースAcross The Universe レット・イット・ビーLet It Be ユー・ノウ・マイ・ネームYou Know My Name (Look Up The Number)


バッグ・イン
ジョンとヨーコの「ラブ&ピース」を合言葉にした世界平和を呼びかけるピース・イベント ふたりが公の場所で白い袋に入ったまま座り込むというもの


バック・イン・ザ・U.S.S.R Back In The U.S.S.R.
・ザ・ビートルズ、青盤収録 2分43秒/詩・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ポール)
レコーディング 1968年8月22日、23日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサージョージ・マーティン/エンジニア ケン・スコット
チャック・ベリーの「バック・イン・ザ・U.S.A.」をパロディにした曲で、コーラスはビーチ・ボーイズ風。レコーディング時にはリンゴが一時的にグループを離れていたため、ドラムとリード・ギターをポールが担当した。


バッグ・オ・ネイルズ
キングリー・ストリート9番地にビートルズがよく行ったクラブ、バッグ・オ・ネイルズがあった。クラブがオープンしたのは1966年11月で、とくにリズム&ブルース・ファンのあいだで人気があった。ビートルズはたまたま立ち寄ったのがきっかけで、アビイ・ロード・スタジオでレコーディングしたあとなどによく行くようになり、ポール専用のテーブルがあったほどだ。1967年5月15日、ここにジョージー・フェイムのショーを観にきたポールは、リンダと出会った。


バッグ・ワン
ジョンが1968年から1969年にかけて描いたイラストから作られた14点のリトグラフ集で、"BAG ONE"という文字が入った大きな白いバッグに収められている。ジョンとヨーコの結婚やプライベートな生活、平和運動がモチーフになっている。なかには性的な描写もあったため、1970年1月15日にロンドンで初めての個展が開かれた際、作品のうち8点がわいせつであるという理由で警察に押収された。だが、裁判の結果わいせつとは認められず、作品は返却された。個展はニューヨークやパリなど世界各都市で開催された。
「バッグ・ワン」は限定300部制作され、作品1枚1枚にジョン直筆のサインが入っている。


パーティーはそのままに
アイ・ドント・ワント・トゥ・スポイル・ザ・パーティー参照


バッジ Badge
ジョージとエリック・クラプトンの合作 クラプトンの在籍していたクリームが録音した


バッドフィンガー Badfinger
アップルからアイビーズでデビュー後71年にバッドフィンガーと改名して再デビュー ポールの作ったマジッククリスチャン(リンゴの出演した映画「マジッククリスチャンのサウンドトラック)を大ヒットさせる オールシングスマストパスのレコーディングセッション・バングラのコンサートに参加


バッド・ボーイ Bad Boy
パスト・マスターズ1収録 2分19秒/詩・曲 ラリー・ウィリアムズ ボーカル ジョン
レコーディング 1965年5月10日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ノーマン・スミス
ラリー・ウィリアムズが1959年に発表したロックンロール。ジョンのパワフルなシャウトを聴くことができる。


ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン Happiness Is A Warm Gun
ザ・ビートルズ 収録 2分43秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン(ジョン)
レコーディング 1968年9月24日、25日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー クリス・トーマス/エンジニア ケン・スコット
銃の専門誌からタイトルを引用して作った曲。テンポ・チェンジの激しいジョンならではのスタイル。このころのジョンにしては難解な言いまわしが多く、性的なニュアンスも強い。
■デモ
アンソロジー3収録  2分13秒 /ボーカル ジョン
レコーディング 1968年5月 サリー州イーシャー「キンファウンス」
プロデューサー 不在 /エンジニア 不在
イーシャー・デモより。この時点では「アイ・ニード・ア・フィックス」「マザー・スーペリア・ジャンプト・ザ・ガン」というタイトルだったパートである。ヨーコの名前が歌い込まれている。


パティ・ボイド 
ジョージの元妻
本名パトリシア・アン・ボイド1944年3月17日生まれで、モデルをしていた。

リチャード・レスターが製作したポテトチップスのテレビ・コマーシャルに出ていたことがきっかけで、ビートルズの映画に起用される。
映画“A HARD DAY'S NIGHT”の撮影中に、列車の中でビートルズと出会う女学生の役を演じていた

その後クラプトンのもとに去って行ってしまう


バディ・ホリー Buddey Holly
1950年代に活躍したロックンロールシンガー ダブルトラックで二重唱を試みたりストリングスを伴奏に使ってりしてビートルズに多大な影響を与えた
ワーズオブラブは彼の作品


ハニー・ドント Honey Don't
ビートルズ・フォー・セール収録 2分55秒 /詞・曲 カール・パーキンス ボーカル リンゴ
レコーディング 1964年10月26日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ノーマン・スミス
カール・パーキンスが1957年に発表したロカビリー・ナンバー。もとはピート・ベストの持ち歌だったのをジョンがひきつぎ、レコーディングではリンゴが歌うことになった。
■BBC
ライヴ・アット・ザ・BBC 2分11秒/ボーカル ジョン
レコーディング 1963年8月1日プレイハウス・シアター(マンチェスター)
プロデューサー イアン・グラント /エンジニア 不明
『ポップ・ゴー・ザ・ビートルズ』第12回より。アルバム『ビートルズ・フォー・セール』で発表する前なので、ジョンが歌っている。エンディング近くではオリジナルと同じように"Honey don't ba-ba-ba-ba"と合いの手を入れている。


ハニー・パイ  Honey Pie
ザ・ビートルズ収録 2分40秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1968年10月1日、2日、4日 トライデント・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア バリー・シェフィールド
フレッド・アステアの影響を受けて作ったボードビル・スタイルの曲。1920年代のビッグ・バンド風にするため、78回転レコードのノイズを入れたり、クラリネットを使ったりしている。
■デモ
アンソロジー3 1分18秒
レコーディング 1968年5月 サリー州イーシャー「キンファウンス」
プロデューサー 不在 /エンジニア 不在
イーシャー・デモより。サビの後半はメロディも歌詞もまだで、コート進行だけ決まっている。


バーバラ・バック
リンゴの2度目の妻 1951年ニューヨーク生まれ
「おかしなおかしな原始人」でリンゴと共演したのが出会い 1981年4月27日結婚


ハープシコード
別名「チェンバロ」バロック時代に隆盛を極めた鍵盤楽器 革あるいは鳥の羽でできたプレクトラムという爪で弦をひっかけて繊細な音を出す 「ピッギーズ」「フィクシング・ア・ホール」「愛こそはすべて」で使われている


ハー・マジェスティ Her Majesty
アビイ・ロード収録  0分23秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール
レコーディング 1969年7月2日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア フィル・マクドナルド
ビートルズ・ナンバーでいちばん短い曲。「ミーン・ミスター・マスタード」と「ポリシーン・パン」のあいだに収録される予定だったが、流れが悪いためカット。そのテープが偶然アルバムの最後につながれていたのをポールが気に入り、アンコール曲としてそのまま残すことにした。あっと驚かせるビートルズらしいユーモアだ


ハーモニウム
足踏み式リード・オルガン 日本で俗に言う「オルガン」
「バンガロービル」「クライ・ベイビー・クライ」などで使われている


ハモンド・オルガン
1929年にアメリカのローレンス・ハモンドが考案した、パイプオルガンのようにペダル鍵盤を持つ大型の電子オルガン
「ミスター・ムーンライト」「恋を抱きしめよう」「ドクター・ロバート」「ブルー・ジェイ・ウェイ」などの曲で使われている


ハロルド・ハーグリーブズ・ハリスン
ジョージの父 
1909年5月28日生まれ
1930年5月20日ルイーズと結婚 4人の子供がいてジョージは末っ子 ジョージが生まれた時はバスの運転手をしていた
1978年5月死亡


ハリウッド・ボウル
ライブ・アルバム用として1964年8月23日と1965年8月30日にロサンジェルスのハリウッド・ボウルで行なわれたコンサートのもようが録音された。当時は音質の悪さから発売が見送られていたが、1977年にジョージ・マーティンらの手によって編集され、1964年から7曲、1965年から6曲を収録した1枚のアルバム“THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL(ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!)”として発表された。


ハレルヤ、アイ・ラヴ・ハー・ソー Hallelujah, I Love Her So
アンソロジー1収録 1分12秒 /詞・曲 レイ・チャールズ ボーカル ポール
レコーディング 1960年5月ごろ フォースリン・ロードのマッカートニー家(リバプール)
プロデューサー 不在 /エンジニア 不在
スチュアート・サトクリフ在籍中のホーム・レコーディングより。レイ・チャールズが1956年に発表した曲。ジョン、ポール、ジョージはエレクトリック・ギターを弾いている。


ハリー・エプスタイン
ブライアン、クレイヴ・エプスタインの父
リヴァプール出身の家具の小売商 ハリーの父親は貧乏なポーランド移民だったが1901年にI・エプスタイン&サンズという家具店を開くまでになりハリーが店の経営を引き継いだ。事業は順調に拡張しハリーは二人の息子を役員にした
長男ブライアンがビートルズのマネージメントをすることをなったとき援助をすることにもしたがクライヴが顧問として参加するよう主張したのもハリーだった
1966年7月に病気で死亡 ブライアンがなくなったのはその数週間後だった


ハリー・グレイブス
リンゴの養父 13歳のときに母が再婚 義父となったハリー・グレイブスはリンゴに中古のドラム・セットを買ってくれた


ハロー・グッドバイ Hello, Goodbye
シングル、マジカル・ミステリー・ツアー、青盤収録 3分28秒 /詞・曲 ジョン−ポール ボーカル ポール(ジョン、ポール、ジョージ)
レコーディング1967年10月2日、19日、20日、25日、11月2日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン /エンジニア ケン・スコット(10月)、ジェフ・エメリック(11月)
16枚目のシングル。ポップなメロディと覚えやすい歌詞、それでいてサウンドは凝っている。ボーカルとコーラスのかけあいや、エンディングの展開にビートルズらしさがあふれる。
■テイク16
アンソロジー2収録 3分17秒/ボーカル ポール
レコーディング1967年10月2日、19日 アビイ・ロード・スタジオ
プロデューサー ジョージ・マーティン/エンジニア ケン・スコット
テイク16にボーカルとギターをダビングしたもの。この段階では「ハロー・ハロー」という仮題だった。ベース、ハモンド・オルガンなどはまだ入っていない。ここでは全体を通じてファズをかけたギターが走っているが、マスター・バージョンでは大幅に削られ、代わりにバイオリンが入る。


ハロー・リトル・ガール Hello Little Girl
アンソロジー1収録 1分39秒 /詞曲 ジョン−ポール ボーカル ジョン
レコーディング 1962年1月1日  デッカ・スタジオ
プロデューサー マイク・スミス
エンジニア 不明
デッカ・オーディションより。ジョンが生まれて初めて書いたと言われる。のちにフォアモストにプレゼントされた。リズム&ブルース系の曲ではないが、ジョージはブルーノートのスケールでソロを弾いている。


ハンブルグ
ドイツの地方都市
無名時代のビートルズはハンブルグ巡業によってステージングと演奏を磨いた 第二の故郷と言えよう

二つのストリップクラブ、カイザーケラーとインドラクラブを経営していたブルーノ・コシュミダーはいろいろな事情がかさなり1960年にさまざまなグループを出演させていた。ロンドンを訪問したコシュミダーが最初に契約したのはザ・ジェッツとリヴァプールのデリー&ザ・シーニアズだった。そしてリヴァプールのクラブ経営者アラン・ウィリアムズがコシュミダーと手を組み1960年8月からハンブルグのどちらかのクラブにビートルズを出演させることにした。
ビートルズはまずインドラにインドラが閉鎖後はカイザーケラーに出演した。

コシュミダーはいつもビートルズに「派手に」やることを求めた。その結果ビートルズのステージングは長足の進歩を遂げたのだ


ハンブルグテープ
1962年5度目のハンブルグ公演の時にテッド・テイラーによって録音された エプスタインの生前に「買わないか」と話を持ちかけたが商品価値が無いとエプスタインに断られた
1973年 アップルが52億円で買収した